長いあいだ僕の人生の目的だったもの。それは独りよがりに自らが幸せにになること。
多くの苦難に耐えつつも、ここまで生きてきたのは、いつか手に入れられると信じる幸せのため。みんなそうではないでしょうか。
だから僕たちは日々様々なものを買い集め、嫌な上司に認められるために一生懸命働き続ける。
でも幸せになれない。
そこで多くの人は、なぜ幸せになれないかを分析する。
そして出された答えたち。
・幸せにしてくれそうなものを買ってみる。
・幸せにしてくれそうな人とつるんでみる。
・幸せになれそうな仕事に就いてみる(でも実際好きではない)。
・幸せという価値を見直す旅に出てみる。
どの答えも結局うまくいかず、夜寝る前に考えることは、幸せになるための次なる一手。
同じことの繰り返しだ。
世の中にあふれている、手っ取り早く幸せになる方法は、残念ながらどれも作り上げられたものだと気付く。
アリストテレスはこんなことを言っている。
「幸せこそが人生の意味であり目的であり、そして人類が存在している理由」だと。
けれどもここで考えるべきは、幸せは「結果」であって、幸せを得るための具体的な「方法」が必要なこと。
そしてぼくがたどり着いたのは「役に立つこと」が幸せになるための方法だという考え。
「役に立つこと」を言葉で説明するのは難しいけど、一般的に人を幸せにすると考えられているものは、ただの行為にすぎない。
例えば、
・長期休暇を取る。
・働く。
・買い物に行く。
・飲みに行く。
・レストランに行く。
・クルマを買う。
これらは消費や行為であって、何も生み出してはいない。
僕もこれらは好き。誤解して欲しくない。だけど何も生み出していないから、なんの役にも立っていないから、生きた証を何も残していないように感じる。
難しいことを抜きにして、役に立つと幸せだ。
なにか人が使えるものを作るとか。たとてそれは家族や自分自身が使うものだったとしても。
偽善的なスタンスも嫌だし、世界を変えるなんてたいそうな野望もない。
ただ自分の周りの人に少し役に立つこと。たったこれだけで、たったこんな考え方を持つだけで、僕はどうやったら幸せになれるんだろうと悩むことはなくなった。
さとすき
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posted with ヨメレバ
岸見 一郎,古賀 史健 ダイヤモンド社 2016-02-26
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